少し前に、関西から東京に遊びにきている友人とお茶をしました。彼女は既婚者ですが、「昔と違って、核家族になったことも、なかなか結婚しない人が増えた理由に思う」と言っていました。

それは何かというと、昔はおじいちゃん、おばあちゃんが家の中にいて、“人が死ぬ”という場面にリアルに接したけれど、今は自分の親が死ぬ年齢の頃には、自分が50代以上になっている可能性があり、それまでは自分の最期の瞬間が独りである、ということが一体どういうことなのか、実感もなく、目を背け続けてしまうのだと思う、ということでした。

私は母が既に癌で亡くなりましたが、「独りで死ぬ覚悟は出来ている」という発言を簡単にする人と出会う度、「リアルにこれから死んでいく人の面倒を、ちゃんと傍でしたことがあるのかな?」という気がしてならず、私は正直、あの過酷な状況を独りで乗り切るということが、ほぼ不可能な気がしてなりません。

身体が癌に蝕まれ、ボロボロになっていく中で、自分で病院とのやり取りから、一時退院した家でのケア、自分が死んだ後のあらゆる手配、そんなことが病気になった高齢の自分が独りできるとも思えないし、誰も親身に寄り添ってくれない中で、精神的にも、肉体的にも辛い中で独りでぽつんと病室にいる自分・・・

私が結婚というものに対して、とても謙虚になれたことは、母の死を目の当たりにして、人間の最期の場面に独りである、ということがどういうことなのか、というその畏れが少なからずあったと思います。

夫が先に死ぬ可能性もあるので、結婚したからといって、もちろん、そのリスクから逃れられる訳ではないのですが、

彼女は「それでも、夫との思い出を持って最期の場面を迎えるのかどうかは、全く違うと思う」と言っていました。

それぞれに考え方はあると思いますが、人生の折り返し、そろそろ人生の終わりも遠くにぼんやりと視野に入ってきたアラフォーにもなると、真剣に人生の最期=死を考えたとき、結婚に関しても、ただただ甘い夢をみていた若い頃の結婚観とは違ってきて当然だろう、と思います。

結婚に対して覚悟を持てない、という方は、極端に言えば、必然的に“独りで死ぬ覚悟”を持つことでもある、ということを現実的に考えた方がいいかもしれません(ま、誰でもある意味、独りで死ぬんですけどね!)。